☆美☆

HOMEの基準


と一言で言い表しても、その基準は世界、文化、また個人によって様々です。


明らかに各国の美の基準というものはあっても、個人の美の基準というものは千差万別ですから、逆に基準というのは無いのではないかな〜と、私は思います。


目の大きい人が好きといっている人に「それは変だ」というのもおかしな話ですし、価値観の押し付けというのは誰にもできることではないですもんね。


個人の価値観ということで考えたとき、たまにテレビで美容整形をしようと決心した人に「やめたほうがいい」とか「そのままが一番」と発言したりする場面を思い出しますが、それって一番、他人には分からないことだと思います。


なにを基準にそのままが一番美しいといえるのかというと、やっぱりその基準も本人が決めるものなので、周りは何も言えないことですよね・・。


よく家族の了承を得るのに必死に説得したりとかいう場面もありますが、なんだかかわいそうに感じることもしばしば。


親から受け継いだままの顔で生きて欲しい、というのは親の考えであって、その顔で生きていくのは本人だから、親にも何も言う権利はないと思うのですが。中身は変わらないのですからねぇ。


美の価値観ということになると、分かり易いのが好きな人の好み、とかになりますが、私はもう昔から、「この人いいなー」と発言すると、その時周りにいる人に、だいたいは「またまたぁ」と否定されます。


それって、ただ一般的な支持率が低いというだけだと思うんですが・・。


でもアラン・リックマンを好きになって、いくら映画雑誌をくまなく読んでも、彼に関する記事なんてほとんど無し。


やっぱりブラッド・ピットやジュード・ロウ、オーランド・ブルームや毎年のリバー・フェニックス追悼特集・・。アラン・リックマン特集なんてあるわけが無い。


そこで一人寂しくなった私は、ある映画雑誌に、「アラン・リックマンが好きだ!」と宣言する葉書を書き、彼の魅力を語ってみました。


すると、翌月には、「私も」「私も」と、彼のファンが続々名乗りを上げたのです。


なあんだ、やっぱり彼の魅力を分かる人は確かにいるんだ、と満足したのを覚えています。


人間って、自分だけかも?なんて思うとなぜか不安に感じるときがありますが、それって馬鹿らしいですよね。人に合わせる必要なんて無いのに。


私は、いまだに映画を観ていても、たとえば「ハムナプトラ」の砂漠の賢人を演じているオデット・フェールとか、「ウインド・トーカーズ」のパパス役のマーク・ラファロとか、人に説明してもわかってもらいにくい人に目が行くんですよね・・。


私は今まで自分の美の基準というか、好みの基準がほとんど周りに理解されなかったのもあって、今では開き直っていますけど。
考えたら、周りの了承を得る必要なんていうのも無いんですが。



美の基準には一般論はあります。でも、絶対に外見だけのものではない。内面から訴えかけるような美しさがなければ、その魅力は伝わらないと感じます。ただ、外見だけで好き嫌いという見方もありますけど。


でもどんなに外見が美しくても、イマイチ魅力を感じられない人っていますが。私は男女という性別に関わらず、人間としての魅力が漂う人に惹かれます。


それと人が美の基準や価値観についてあれこれ語ることができるのは、自分自身についてのみで、他人に向けられるものでは決してないということ、ですよね。





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オデット・フェール


「ハムナプトラ」のほか、
「バイオ・ハザード アポカリプス」にもでてるんですよ〜



マーク・ラファロ


「死ぬまでにしたい10のこと」
「イン・ザ・カット」
「コラテラル」など


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